志田下(釣ヶ崎海岸)
千葉県・房総半島(外房)へ海岸風景を撮影しに出かけた。
一宮〜御宿〜勝浦〜鴨川〜千倉〜白浜のコースで気になるところを撮影して南下し、内房を抜けてアクアラインで東京に帰る2日間の撮影行だ。
先ずは一宮の釣ヶ崎海岸へ向かった。
お目当ては「釣ヶ崎の鳥居」である。海辺に建つ鳥居は何故か今更マイブームなので撮影したかった場所の一つであった。
昭和56年9月13日建立とあるので調べるまで全く気が付かなかった「釣ヶ崎」という場所。
サーファーと貝捕りの漁師が混在する光景が面白い。
ここは、2020 TOKYO オリンピック のサーフィン競技会場で一躍有名になった場所ではあるが、サーフィン的には「志田下」というサーフポイント。
「志田下」なる名称はGoogleMapにも出ていない。私が学生時代に何度かサーフィンしたポイントであった。
40年以上前にここで波乗りしていたので当時は鳥居は無かった筈で、また周囲の道路や景色までもが整備されてあの頃の面影は忘却の彼方で全く気が付かなかった。
「太東」ポイントのとなりなのでもしやと帰宅してから調べたらやっぱり懐かしのポイント「志田下」であった。
18〜25歳くらいの短い期間であったが、外房・勝浦「部原」をメインに、和田浦、鴨川、御宿、大原、太東、志田下、鹿島までと時には仲間と何台もの車で週末の真夜中に出発して波乗りに行ったものであった。
この日の「志田下」は、腰〜胸・セットで肩くらいの小さい波のサイズであったが乗りやすそうなコンディション。
連休中ともあって多くのサーファーで賑わっていた。
私が波乗りしていた頃はスケッグ(フィン)は中央に一つしかないシングルの板が普通であった。
ツインスケッグが出始めた頃で、貧乏学生には高嶺の花で13万円以上なんてとても買えなかった。
少ないバイト代で中古のシングルスケッグのボロい板、しかしウエットスーツは4mmのフルスーツをフルオーダーで奮発。
それでも合わせて10万円くらいの痛い出費、10回払い。海までは往復下道で弁当持参、ガソリン代割り勘。
月に2度が限界でなかなか上達しなかった。忘れた頃に来る様な友達はとうとう板に立てなかった。
流行っていたし異性にモテるなんて風潮もあったが、それはあまり関係無かった様な記憶もある。
現在はトライフィン(フィンが3つ)が主流でトリッキーな技がかけ易い、道具の進化もかなりの物。
上手いサーファーも多く、ついレンズを向けてしまう。
オフザリップを力強く決めていた。
こちらはグーフィーでのオフザリップ。
エアリアルリバース、昔はこんな大技は有り得なかった。
エアリアルリバース、これをかける前にオフザリップをしていた。凄い!
次の撮影スポットが待っているので早々に切り上げたが、弁当持参でずっと撮影していたかった。