初夏の九州撮影行(3)「広島〜山口、そして九州へ」
愛知県・三重県の道の駅でツバメの撮影をした後はひたすら西を目指した。
奈良市から大阪府守口市、豊中市を抜けて兵庫県に入る。途中、千里川土手で航空機撮影でもしようと思ったが、楽しみは次回に持ち越すことにした。
国道176号線を進むと宝塚市に入った。あの宝塚歌劇団の宝塚大劇場の看板が見える。手塚治虫記念館の看板も出ている。
背景には山が見えていて以外に郊外地なんだなと気が付く。その後、加古川バイパスを抜け岡山県に入り道の駅で車中泊。
翌朝は広島県に入り厳島神社を撮影した。島には渡らず手前の海岸から望遠レンズで撮影。
流石に超望遠800mm(フルサイズ換算1280mm)の世界は凄い、肉眼では見えない人も写っていた。
いつかまた機会があったら島に渡って見学してみたいと思った。
先を急ぐ身としては国道2号線をひたすら西へ進む。
山口県へ入った。岩国市の錦帯橋の看板に釣られて分岐を左へ進む。錦川にかかる5 連のアーチからなる全長 200 m の木造橋。
1673 年に建造され、のちに復元されたもの。中央3連は、迫持式(せりもちしき)といわれるアーチ構造。両端の2つの橋は反りを持った桁橋構造。
8-16mmという超広角レンズで撮影。
観光客はほとんどが欧米人。
撮影後は国道2号線関門トンネル経由で九州へ向かう。
前回は高速道路で関門橋を渡って九州入りしたが趣きも違って関門海峡をより味わえた気がした。
1185年(寿永4年)に、源氏と平家の最後の合戦「壇之浦の戦い」が起きた。合戦の地は「早鞆の瀬戸」とも言われ、関門海峡の幅が最も狭く潮の流れが激しい場所。
関門トンネルは着工から21年の歳月をかけて1958年(昭和33年)3月9日に開通した。総工費は当時の金額で約57億円である。
九州に入った。北九州市小倉だ。”小倉生まれで玄海育ち、口も荒いが気も荒い。”と口ずさむ。
村田英雄さんの「無法松の一生」、昭和歌謡の名曲だ。もっとも村田英雄さんは、佐賀県唐津市のご出身で若手浪曲師として活躍する中、1958年に浪曲『無法松の一生』を古賀政男さんが歌謡曲化したもので歌手デビューした。
「無法松の一生」は岩下俊作の小説。無法松と呼ばれた富島松五郎役を三國連太郎さんが演じた映画もあった。時代としては私の親の世代、その人気が非常に高い事で私もカラオケスナックでよく歌っていた。
小倉に「無法松之碑」があると知り撮影した。
そして宗像市の道の駅で車中泊。
明日はいよいよ佐賀県入りだ。