アマチュア無線局 運用時代

 仲間も増えてクラブ局も作った。JF1YXD 深川アルコール変調クラブと言うふざけた名前ではあったが、
10人程度のローカル局で運営していた。 年に数回の移動運用で7MHzを運用するのが多かった。
それと飲み会や忘年会も楽しんでいた。

 社会人になってからはサーフィンに行く回数が減り、冬のスキーも日帰りが中心になった。
仕事の営業で使うゴルフも初め、次第に遊びに行く回数も減ってくる。
そんな中、アマチュア無線は家にいながら継続できる趣味なので唯一の楽しみでもあった。
次第に無線機も新品・中古を増やしていって屋根の上のアンテナも増えていった。
 電信級が第3級となり高周波出力も10Wから25Wにアップすると言うので、これを機にクラブ局の有志で受験してみようと言うことになった。
試験会場はお隣りの中央区晴海で、私が電話級を受験した時と同じ。そう言えば、ハムフェア会場も晴海だった。
電話級は第4級となるらしい、第3級を受験するには電信の聴き取りを習得する必要があった。
縦振れ電鍵に自作の発信機を繋げて毎晩の様に練習した。1分間に25文字が聴ければ良かったと記憶している。
元々電信符号は覚えていたのでもっと早いスピードで打てる自信はあった。聴く方は練習量を増やさないと本番の試験でミスする確率は高いらしい。
一文字聴き取れないとそこで引っかかって次の文字が分からなくなってしまうからである。練習は常に100点を取れる様に練習した。
余裕で合格できた。クラブの代表としての面目を保つこともできた。

無線局免許状の変更申請をして25Wの免許が降りた。
写真はその後に2回、5年毎の更新をしたもの。

期限は平成17年(2005年)、昭和52年(1977年)に開局してから28年間開局していた事になる。
当時のシャック(無線機部屋)の様子をAIで再現してみた。

1992年にスキューバダイビングの資格を習得してすぐに水中写真を始めた。毎週末に静岡県伊豆半島の海に通って水中撮影をしていた。
徐々にアマチュア無線は仲間の車との連絡用のみとなり、1996年頃にはJARLを退会していたので、殆ど電波を出していなかったと記憶している。

続く

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